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水戸城跡の大木と秋田美人

■いつもと違うウォーキングコース

4月9日の日曜日、雨上がりの夕方に、ウォーキングに出かけました。

いつもの道から外れて、桜の名所の1つでもある水戸の県立図書館近くの、旧県庁に向かいました。

水戸城跡のお堀の跡に枝を伸ばす満開の桜を堪能しました。

帰り道は「弘道館」の裏道を通り、茨大附属小学校前と水戸三高前の経路を歩いてみました。

地図で言うと、水戸城跡で、昔の二の丸に当たることがわかりました。

■2本の巨木

普段車で何度も通る道なんですが、そこを歩いてみると普段目に入らないものが見えてきました。

その中でも、2本の大木に目を奪われました。

横の看板に書いてある由来を見るとなんと戦国時代から生えているそうです。

いずれも佐竹藩の時代より自生していたと伝えられています。

推定樹齢400年、樹高約20メートル、目通り約4メートルでスダジイという、しいの木だそうです。

天然記念物に指定されてます。

樹齢400年というと、なんと戦国時代からここに生えていたらしいです。

よくもまぁ当時や昭和の戦火をくぐりぬけてきたもんだと、愛おしささえ感じました。

ここが、水戸城の跡で歴史的な由来のある場所とは聞いていました。

■佐竹藩

詳しくは知らなかったので、少し調べてみました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/水戸城

水戸城には、佐竹藩が深く関わっていたらしいです。

そもそも佐竹藩とはどんな家系だったんでしょう。

源氏の血を引き、平安時代からの武家とわかりました。

源氏の家系とは知りませんでした。

水戸城は江戸時代のお城とばかり思い込んでました。

もっと前の平安時代から存在してたことがわかりました。

佐竹藩は、江戸時代から江戸初期にかけての常陸の国(現在の茨城県)の戦国大名でもありました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/佐竹氏#.E7.B3.BB.E8.AD.9C

1602年に、18代当主義重の子である、義宣は、徳川家康に秋田に追放されたとのことです。

理由は、関ヶ原の戦いの時にどちらにつくのか態度がはっきりしなかったためとのことです。

仙台の伊達政宗は義重の正室の甥だそうです。

2本の巨木から、色々な歴史背景を知ることができました。

■秋田美人の由来

佐竹氏といえば、秋田に追放された時に、美人をたくさん秋田に連れて行ったため、

秋田美人と言われるのはそのためというのを若い頃聞いたことがあり、今まで信じていました。

気になったので、これも調べてみました。

真面目に研究がされているようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/秋田美人

それによると以下の3つの説があることがわかりました。

①原住日本人の蝦夷(アイヌ人)の血が濃いので美人が多いとする説

②シベリアなどとの大陸交流が盛んだった秋田地域の住民と北方民族との混血説

③お米がたくさん生産される農業大国で健康状態が良いので美人が多いとする説

結局佐竹藩が茨城(常陸国)から美人を連れて行ったためと言うのは、ありえない俗説であることがわかりました。

■秋元康さんの言葉

有名な「川の流れのように」の歌詞を作詞し、AKB48のプロデューサーとしても知られる秋元康さんの本に

「企画脳」という本があります。

その中に印象に残る言葉があります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

A地点、からB地点まで行く事は「移動」、キョロキョロしながら行く事は「旅」

人生が旅だとすれば、どれだけ周りの景色を視界に入れられるか、それを面白がることができるかが、発想、企画の豊かさになる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用ここまでーーーーーーーーーーーーーーーーー

■まとめ

今回のウォーキングでは、普段車で同じ道を「移動」することでは得られなかった

面白いことをたくさん知ることができました。

何気なく車で通る道も、歩いて見たことで、ふと目に入った大木から、

このような壮大な歴史模様に出会うことができました。

車で通り慣れた道をたまには、歩いてみてはいかがでしょう。

別の目線で「旅」をしてみると、違ったものが見えてくるかもしれません。

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