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「備前堀」の歴史背景と鯉のぼり

いつもの散歩コースである備前堀沿いを、4月23日の日曜日午後、ゆっくり歩いてみました。

普段なら、気づかず通り過ぎる橋に、石碑が目に止まりました。

石碑を読んでみるとその歴史的な背景にびっくり。

◾️備前堀と徳川家康との繋がり

備前堀というのは、水戸駅南口から東方向に徒歩で15分ほどのところにあります。

戦前ぐらいにできたものなのかと思っていたら、なんと、江戸時代初期に

徳川家康の第11男、徳川頼房の命により、関東郡代であった、伊奈備前守忠次が築いたもんだそうです。

そんなに歴史が古いものだったとは初めて知りました。

当時は千波湖が少しの雨でもたびたび氾濫をして、周囲の住民が悩まされていたそうです。

それの対策を兼ねた農業用水路として作られたのが由来とか。

悩まさていた住民にとっては、大助かりのストーリーがあったんですね。

何も知らずに、ずっとこのあたりを普通の散歩コースとして歩いてきました。

こういう話を知ると味わい深い道に感じてきます。

◾️新水戸八景

長年近くに住んでいながら、新水戸八景というものがあること、備前堀はその1つであること

を今日知りました。

水戸藩第9代藩主徳川斉昭が1833年に水戸藩領内の景勝地を8つ選んだのが、水戸八景と言われているようです。

新水戸八景は、時代を経て平成の時代1993年(平成8年)に水戸市内の新たな8つの景勝地が選ばれました。

備前堀はその1つでした。残りは

です。大塚池以外は、何気なく、訪れたことはありますが、いずれゆっくり訪問して見たくなりました。

 

◾️鯉のぼり

4月23日にたまたま、散策しましたが、

5月連休を間近に控え、毎年恒例となっているという、鯉のぼりが

飾られて、彩りを添えていました。

ちょうどその日は初日で、5月6日まで風にそよいで泳ぐ姿を

見せてくれるそうです。

 

◾️まとめ

備前堀にまつわる歴史背景を知ることができました。

新水戸八景の1つであること、発端は江戸初期の千波湖の氾濫対策であったこと

徳川家康の11男、初代水戸藩藩主、徳川頼房の命により、

1610年に伊奈備前守忠次が築いたものであることを知りました。

身の回りの風景にまつわる歴史物語を知るのは意外と面白いです。