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読書メモ:勘定奉行荻原重秀の生涯

こんにちは。生涯挑戦!をモットーに新大人世代を応援する、こうちゃんです。

最近日本の歴史に興味が湧いています。
江戸時代の朱子学者新井白石という名前は聞いたことがある方も多いと思います。

新井白石は幼少時代から学芸に非凡な才能を示して、徳川将軍家宣に仕えて、「正徳の治」と呼ばれる政治改革をおこない、「西洋紀聞」を著した人として有名です。

ところで、この新井白石が忌み嫌った人物、荻原重秀(おぎわらしげひで)はご存知でしょうか? 私は最近知りました。

この本は、ほとんどの歴史書が否定的に書いてある荻原重秀の真実に迫る内容が書かれていて興味深く読みました。

一般的な悪評に疑問を抱いた歴史学者である著者、村井淳志氏による綿密な調査結果から、彼の並外れた実行力や多彩な業績が書かれているところが面白いです。

荻原重秀とはどんな人?

江戸時代の五代将軍徳川綱吉の時の江戸幕府の勘定吟味役として、日本史上初めての大規模な貨幣改鋳を指揮した人として有名らしいです。

著者によると、39歳の若さで、勘定奉行に昇進して、当時の財政対策としての貨幣改鋳以外にも多くの施策を実行したことが紹介されています。

多くの教科書や解説書では、この貨幣改鋳のことを否定的に書いていて、

幕府は改鋳による差益で莫大な収入を得たが、物価高騰を招き、経済を混乱させた

という見方が多いようです。

インフレを招いたのは貨幣改鋳ではなく、冷夏だった

筆者の調査結果によると物価上昇は年率3%程度で、時期を同じくして発生した冷害の影響が大きいそうです。

とくに目立つのが、改鋳年である元禄八年(1695)と翌年の米価の急騰だ。当時としては史上最高値であり、多くの人に強烈な記憶を残したと思われる。これが後世の人々にも、貨幣改鋳=物価上昇という強烈なイメージを刷り込んだ。しかしこの年が深刻な冷夏だったことは明記されるべきである。

どうも、荻原重秀があまりにも早く出世し、業績をあげたので、妬み嫉みもあったようです。

3%程度のインフレなら、物価の高騰というほどではないとも筆者は述べています。確かに日銀の目標が2%ですからそうですね。

他にもある荻原重秀の成果とは

貨幣改鋳にとどまらず、佐渡鉱山の開発、長崎貿易の改革、元禄検地、東大寺大仏殿の修復建立など、多くの実績をあげています。

・佐渡鉱山の開発:佐渡に大規模投資して、鉱山の生産性を大幅に向上

・長崎貿易の改革:銅を輸出することで、金銀流出を阻止

・元禄検地:土地を実測検地して石高をあげた

・東大寺大仏殿再興:公共事業として資金の目処をつけ指揮をとり、再興した。

など偉業を成し遂げています。

今で言う凄腕経営者

これを読んで感じたのは、新井白石は天才には違いないのですが、学者肌の傾向が強い気がしました。経済政策も実施したようですが、あまり得意ではなかったように思えてなりません。

新井白石が、自分にない才能を持っていた荻原重秀に嫉妬に近い気持ちから嫌悪感をいだいたのだろうと想像しました。

例えて言うと、荻原重秀は今で言う凄腕経営者で、新井白石は超優秀な大学教授というイメージです。

日本史にあまり詳しくない理系の人間にとっても歴史の真実に触れた気がして興味深い本でした。


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