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読書メモ: 音楽の贈り物からの名言(16)ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの名言

こんにちは。生涯挑戦!をモットーに新大人世代を応援する、こうちゃんです。

今回の名言は19世紀初頭の(1807年- 1882年)のアメリカの詩人ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの言葉です。

ワーズワースという名前は聞いたことがありますが、より知られているワーズワースはイギリスの代表的なロマン派詩人ウィリアム・ワーズワース(Sir William Wordsworth, 1770年 – 1850年)の方でした。

でも米国人にとっては、ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローを知らない人がほとんどいないくらい有名な詩人だそうです。

ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローという人物を調べていたら、30年程前に訪れたことがあるアメリカミネソタ州のミネハハフォール(ミネハハ滝)に関係が深いことを知って、懐かしさを覚えました。

話は単なる個人的な郷愁にとどまらず、ドボルザークの新世界の2,3楽章は、ドボルザークがヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの作品からインスピレーションを得て作曲したそうです。

ほんの数行の短い名言からいろいろストーリーがつながってワクワクしました。

ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの音楽についての名言と思ったこと

音楽は人類の普遍的な言語である。

ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー

この名言を目にしたときは、「音楽が普遍的な言語」という言い方はよく聞く表現なので、正直それほど新鮮さを感じませんでした。

ただ、この人物について調べていくと、2つの面白いことがわかりました。

ひとつは、そこの近くのミネハハ公園にあるミネハハの滝の絵に詩想を得たヘンリー・ワーズワース・ロングフェローが 1 編の作品に、ドボルザークが感化されて、有名な交響曲新世界よりの2、3楽章を作曲したことです。

もうひとつは、個人的な話ですが、以前1年ほど住んでいたことがある、ミネソタ州にアメリカ国定歴史建造物になっている彼の屋敷の2/3のサイズのレプリカが存在することです。

ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローとはどんな人?

例によって、ウィキペディアから概要を引用します。

ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー(英: Henry Wadsworth Longfellow、1807年2月27日 – 1882年3月24日)は、アメリカ合衆国の詩人である。代表作に「ポール・リビアの騎行」(Paul Revere’s Ride)、「人生讃歌」(A Psalm of Life)、「ハイアワサの歌」(The Song of Hiawatha)、「エヴァンジェリン」(Evangeline)などがあり、ダンテ・アリギエーリの「神曲」をアメリカで初めて翻訳した人物でもある。「炉辺の詩人」5人組の1人として知られる。メイン州ポートランドで生まれ育つ。ブランズウィックのボウディン大学で学び、幾度かの海外滞在を経た後、後半生の45年間はマサチューセッツ州ケンブリッジで過ごした。

ケンブリッジにあるロングフェローの家、ロングフェロー国定歴史サイトは、アメリカ国定歴史サイト、アメリカ国定歴史建造物、アメリカ登録歴史プレースに指定されている。1906年、その3分の2縮尺の家がミネソタ州ミネアポリスのミネハハ公園に造られ、動物園の目玉的存在になった。

愛情深い人だったようで、生涯に2度結婚しますが、

一人目の奥さんのメアリーは彼が欧州への旅の途上に、1835年、流産の後に22歳で亡くなったそうです。その3年後に彼女への思いを込めた作品「天使の足跡」(Footsteps of Angels)を書いています。

2人目の奥さんは、ボストンの裕福な実業家ネイサン・アップルトンの娘、フランシス・ファニー・アップルトンで、6人の子供に恵まれたそうで、愛の詩、ソネット「夜の星」(The Evening Star)を書きました。

ところが、突然の悲劇に襲われ、ファニーは火傷が原因で44歳の若さで死去してしまいました。ロングフェローはファニーの死にひどく落胆し、終生立ち直ることがなかったとのことです。

ドボルザークとの関係

ウィキペディアの引用文の中に、ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの作品として、「ハイアワサの歌」(The Song of Hiawatha)というのがあります。

こちらのサイトによると、交響曲第9番「新世界から」の第2楽章と第3楽章の元になっているのは、この抒情詩「ハイアワサの歌」だそうです。

少々長い寄り道になりますが、第2楽章と第3楽章についてのメモを。この2つの楽章の元になっているのはアメリカ合衆国の詩人ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー(1807-1882年)が1855年に発表した叙事詩「ハイアワサの歌」だそうです。この叙事詩はインディアンの英雄を謳った英雄譚とのこと。ミネハハ(Minnehaha)は架空のネイティブアメリカンで、ロングフェローの「ハイアワサの歌」の中にも書かれているそうです。ミネハハは主役のハイアワサ(Hiawatha)の恋人で悲惨な終末を迎えるとのことです。彼女の姿は、絵画、彫刻、音楽などの芸術作品に影響を与えたそうです。このミネハハの死のシーンをドヴォルザークは「新世界より」の第2楽章に、第3楽章には「ハイアワサの歌」の結婚の祭典でインディアンたちが踊っているシーンが元になっているそうです。

♪クラシック音楽 さんぽみち♪より引用

ということで、今回の名言に関わる曲はもちろん、ドボルザークの新世界で、2楽章を選びました。

この名言からドボルザークにつながるとは思いませんでした。

ミネハハの滝とロングフェローの家

ミネアポリスのミネハハパーク内にあるロングフェローハウスは、今では

2001年に設立されたミネソタスクールオブボタニカルアートとして使われているようです。大人向けの植物を中心とした美術学校です。

こちらのサイトで知りました。

この建屋が、ボストンのケンブリッジにある本物の家の2/3サイズのレプリカとして、たんに保存されているだけでなく美術学校として活用されているのはすばらしいことですね。

淡い黄色の建物が周りの植物に生えて美しいたたずまいを見せています。

この近くのミネハハ滝へは、ミネソタ州の観光スポットのひとつとなっており、30程まえに住んでいたときも1度訪れました。

機会があればまた、訪ねてみたくなりました。

 

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