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音楽の贈り物からの名言(18)ジョン・アースキンの名言とメトロポリタン歌劇場

こんにちは。生涯挑戦!をモットーに新大人世代を応援する、こうちゃんです。

今回の名言は19世紀初めに活躍した教育者で作曲家ピアニストでもあるジョン・アースキン(1879年~1951)の名言です。

初めて聞く名前でしたが、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)ともつながりのある人物とわかり、歌劇場の沿革について調べると、現在のMETは1966年にオープンしたもので彼が生きている時代はオールドMETと呼ばれ別の場所にあったものとわかりました。

METつながりで、首席指揮者であったトスカニーニのYouTubeも名演です。

■ジョン・アースキンの名言と思ったこと

卑劣な言葉や皮肉を言えない言語は音楽だけだ。

ジョン・アースキン

よく「音楽は普遍的な言語」という言葉を聞きますが、ジョン・アースキンの言葉で気付かされたのは、言葉には人を傷つけるネガティブワードも含むということです。

その点ジョン・アースキンが言うように、音楽が言葉と同様に気持ちを伝えるというような共通性をもっていますが、言葉の負の側面は含んでいません。

時に悲しさを誘うような音楽や、激しい音楽もありますが、毒々しい言葉の様に人を傷つけたり貶めたりする音楽はありません。

そういう意味では、音楽は心理的に安全であると言えます。

■ジョン・アースキンについて

初めて知る名前でしたので、wikiから概要を引用します。

ジョン・アースキーンJohn Erskine(1879年~1951年)は、アメリカ合衆国の教育者、作家、ピアニスト、作曲家。1903年から1909年まではアマースト大学の英語教授、1909年から1937年まではコロンビア大学の英語教授を歴任し、コロンビア大学に在職中に 「General Honors Course」 を考案し、影響力のあるGreat Booksムーブメントを鼓舞。彼は最も重要なエッセイであるThe Moral Obligation to Be Intelligent(1915)をはじめ、100冊以上の本、小説、評論、エッセイを発表。

優れた作曲家、ピアニスト、音楽家でもあった。トロイのヘレンの私生活を題材にしたジョージ・アンセイルのオペラ(1931)のために、音楽の本や台本を数冊執筆。

1928年から1937年までジュリアード音楽院初代院長を務めたほか、ニューヨーク市を拠点に有名なメトロポリタン歌劇場を経営するメトロポリタン歌劇協会の理事も務めた。

ウィキペディアより抜粋し引用

英語教育の大学教授であり、作家、ピアニスト、作曲家という多彩な才能の持ち主であることがうかがえます。

ジュリアード音楽院初代院長で、メトロポリタン歌劇場を経営するメトロポリタン歌劇協会の理事でもあったのですね。

■メトロポリタン歌劇場の歴史について知ったこと

2018年秋にニューヨークを旅した際に、初めてメトロポリタン歌劇場でオペラを鑑賞しました。

そこにゆかりの深い人物だということで、メトロポリタン歌劇場(MET)のサイトを見てみましたところ、リンカーンセンターにあるMETはオープンしたのが1966年でした。

その前のオールドMETと呼ばれている旧歌劇場は、こちらのサイトによると、1883年に開館した。場所はブロードウェイ1411番地、マンハッタンのミッドタウンの西39丁目と西40丁目の間の一区だったそうです。

ジョン・アースキーンが理事を務めていたころはオールドMETの方だったようです。

興味があったので、初代から1930年代までの首席指揮者を見てみると、

アントン・ザイドル(1885~97年)

ウォルター・ダムロッシュ(1884~1902年)

アルフレッド・ヘルツ(1902年-15年、ドイツ・レパートリーの指揮者)

グスタフ・マーラー(1908~10年)

アルトゥーロ・トスカニーニ(1908~15年)

アルトゥール・ボダンツキー(1915年-39年、ドイツ・レパートリーの指揮者)

知らない名前が多いですが、マーラーやトスカニーニなどの名だたる音楽家が主席指揮者を努めていたと知って驚きました。

ということで、METつながりから、トスカニーニのファルスタッフのYouTubeを選びました。

ファルスタッフより第三幕、第2場より、世界中の涙 です。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

尚、わかりやすさをめざし、独自の翻訳とさせていただいており、

他の名言Website様とは表現が異なる場合がありますのでご了承下さい。

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