こんにちは。生涯挑戦!をモットーに新大人世代を応援する、こうちゃんです。
今回の名言は19世紀末の(1807年- 1882年)のアイルランド出身の詩人オスカー・ワイルドの名言です。
名前は聞いたことがあるぐらいでしたので、どんな人かは調べてみたところ、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」の戯曲を書いた人とわかりました。
サロメつながりで、4月に東京のパナソニック美術館で開催されていた、ギュスターブ・モローというフランスの象徴主義の画家の展覧会で観た「サロメ」の絵もご紹介します。
■オスカー・ワイルド音楽についての名言と思ったこと
まずは「音楽の贈り物」という本の中の名言です。
ショパンを演奏した後、私は自分が犯したことのない罪に対してすすり泣いていたかように感じ、自分自身のものではない悲劇を嘆いたような気分になった。
音楽はいつもそのような効果を生み出すように思える。
これは人に忘れていた過去を呼び起こし、涙に隠された悲しみの感覚で一杯にする。オスカー・ワイルド
ショパンを演奏したあととあるので、ピアノも相当な腕前だったと想像できます。
同時に、感受性がすごく豊かだったようですね。短調の曲を聴いて悲しい気分になることはありますが、それで涙を流すことはまずありません。
作曲家の作品に込められた思いを鋭く感じ取る能力を持っていたのではないかと想像してしまいます。
そういう音楽に関する感受性は文学にも通じるものがあるのかもしれません。
■オスカー・ワイルドとはどんな人?
名前は聞いたことがありますが、例によって、ウィキペディアから概要を引用します。
オスカー・ワイルド(1854年10月16日 – 1900年11月30日)は、アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動をしたが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。
1878年、長詩『ラヴェンナ』を刊行し、オックスフォード大学を首席で卒業。特にギリシア語に優れていた。フローレンス・バルコム(Florence Balcombe)への恋は破れた。1879年、ロンドンに出て、画家のフランク・マイルズ(Frank Miles)と住む。恋人だったのではと言われている。女優サラ・ベルナール、男優ヘンリー・アーヴィングらとつきあった。
1881年暮に出航し、翌年暮までアメリカ各地で講演をして稼ぎ、また、ロングフェロー、オリヴァー・ホームズ、ホイットマンと知り合った。
なんと、前回の記事でご紹介したロングフェロー・ワーズワースとも知り合っていたんですね。
■リヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」はオスカー・ワイルドの戯曲が元になっている。
さらに、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」はオスカー・ワイルドの戯曲を元に、ヘートヴィヒ・ラハマンとう人が独訳したものだそうです。
オスカー・ワイルドに関連する音楽は、今回はショパンではなくて、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」から官能的な7つのヴェールの踊りを選びました。
■ギュスターブ・モロー展とサロメ
たまたま今年の4月6日から6月23日まで東京新橋のパナソニック汐留美術館で開催されているギュスターヴ・モロー展を観てきました。
テーマが「サロメと宿命の女たち」というもので、たまたまですが、サロメつながりでしたが、リアルなタッチの中にも妖艶な女性たちを魅力的に表現された作品の魅了されました。
ギュスターヴ・モロー(1826年–1898年)はパリに生まれた画家で、フランスの象徴主義を代表する画家です。
印象派は馴染みがありますが、象徴主義というのは調べて見ると、19世紀後半ぐらいから印象派と並行して発達したそうです。
特徴は「目に見えないものを見える形にした」ということで、なるほどサロメの絵にある、洗礼者ヨハネの首のの幻影をサロメが見ている様を描いた「出現」はまさにそうです。
絵葉書より引用
一角獣という絵もとても美しい絵で印象に残りましたが、ここにも実在しない一角獣が描かれています。
絵葉書より引用
オスカー・ワイルドの戯曲サロメにも影響を与えたそうです。
見応えのある作品が展示されていますので、興味のあるかたはぜひどうぞ。
■パナソニック汐留美術館へのアクセス
JR新橋駅から徒歩8分です。
以上、17回目の名言でした。
このシリーズのいきさつはこちらです。
尚、わかりやすさをめざし、独自の翻訳とさせていただいており、
他の名言Website様とは表現が異なる場合がありますのでご了承下さい。