こんにちは。生涯挑戦!をモットーに新大人世代を応援する、こうちゃんです。
今回の名言はバイロン卿の言葉です。そういう名前の詩人がいたことは聞いたことありましたが、いつの時代でどこの国の人なのか知らなかったので調べてみると、19世紀初頭の(1788年- 1824年)のイギリスの詩人でした。
社交界でモテモテで、女性遍歴も奔放なロマン派の詩人で、36歳の若さで生涯を閉じたそうです。
名言とともにバイロン卿の詩劇に基づいて作曲をした2人の著名な作曲家もご紹介します。
名言その12と思ったこと
人が聞く耳をもてば、あらゆるところに音楽は存在する。
バイロン卿
演奏される音楽だけではなく、日々の暮らしのなかでのさまざまな音のなかにも音楽があるという意味に受けとれます。
自然のなかの川のせせらぎ、鳥のさえずり、潮の満ち引きなど、心を癒やしてくれる音は全て音楽といえますね。
地中海地方の旅行記を詩にして、それが評判となって世に出たそうです。旅行記でそれだけ評判を得るというのは並外れた文学的才能の持ち主だったのだと想像できます。
言葉自体もさることながら、バイロン卿についてネットで調べていくと、19世紀の著名な作曲家チャイコフスキーとシューマンにも関連が深いことがわかりました。
チャイコフスキーの「マンフレッド交響曲」と、シューマンの「マンフレッド」です。
どちらも馴染みがない曲でしたが、バイロン卿にまつわる曲ということでチャイコフスキーは長い曲ですが、Youtubeを引用しておきます。
どちらも、バイロン卿の「マンフレッド」という詩劇をもとに曲にしています。
劇詩「マンフレッド」という作品を残していて、2人の作曲家がそれに基づく楽曲を作っていたというのは今回この名言に出会ったことから初めて知りました。
ここで、「マンフレッド」とはどんな内容なのでしょうか?以下があらすじです。
アルプス山脈のユングフラウの城郭を舞台にマンフレッドと魔女、聖霊たちの形而上学的対話が展開される。人間でありながら、神ほどの万能感を獲得したマンフレッドは、愛する人を失うという過去を持つ。その悲痛な記憶を失いたくて、精霊を呼び出して、「忘却」をくれ、と要求する。精霊たちは、それはできないと言う。「獲得」は自由なのに「喪失」は思いのままにならぬと悟ったマンフレッドは、「喪失」の最高形態である「死」の問題に立ち向かうのであった。
旅行記とは全く異なる内容で、哲学的な感じですが、どんなストーリー展開なのか興味津々です。いつか読んでみたくなりました。
バイロン卿の音楽についてのひとつの短い詩から、未知の楽曲や文学作品につながりました。
ちょっとマニアックですが、音楽好きの方の参考になれば幸いです。
バイロン卿について
ウィキからの引用です:
(George Gordon Byron, 6th Baron Byron, 1788年- 1824年)は、イギリスの詩人。バイロン卿として知られている。1805年にケンブリッジ大学に入学したが、学業を顧みず放埒な日々を過ごした。1809年から1811年までポルトガル、スペイン、ギリシャなど地中海地方を旅した。帰国後ロンドンに住み、1812年旅行の成果である『チャイルド・ハロルドの巡礼』1・2巻(Childe Harold’s Pilgrimage, 1812年)を出版、生の倦怠と憧憬を盛った詩風と異国情緒が時代の好尚に投じ、大評判になった。
ウィキぺディア
その間社交界の寵児として恋に憂き身をやつしたが、1815年にアナベラ・ミルバンクと結婚。このときにもうけた子が世界最初のプログラマーとされているエイダ・ラブレスである。翌年に別居し、その乱れた生活が指弾を受けたため、イギリスを去りスイスのジュネーヴでシェリーに会い、ともにスイス各地を巡遊し、ヴェネツィア、ラヴェンナ、ピサ、ジェノヴァで退廃した生活を続ける。
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