こんにちは。生涯挑戦!をモットーにシニア世代を応援する、こうちゃんです。
日本歴史に興味がある方にとっては、京都や奈良をはじめとした歴史的な寺院廻りは興味深いものがありますね。
私も最近日本史に興味を持ったので、奈良の法隆寺とか、京都の東寺などをめぐる旅に楽しみを感じています。
今日たまたま地元のお寺「善重寺」というところで法要があったのですが、そこでの住職の講和を聞いて、ここが聖徳太子ゆかりの深いお寺であることがわかりました。
鎌倉時代に作られた国の重要文化財である聖徳太子の立像「太子像」が安置されていて、毎年聖徳太子の命日である2月22日にご開帳があるそうです。
この記事では、灯台下暗しと言うか、地元の普通に通いなれたお寺でも貴重な歴史的ストーリーがあったのだと長年住んでいながら初めて知りました。
住職から聞いた話を中心に、親鸞聖人がこの地で20年あまり過ごされた話も含めてまとめましたので紹介します。
■聖徳太子と親鸞聖人と水戸市の善重寺
親鸞聖人といえば、鎌倉時代の新仏教の1つ浄土真宗の祖として知られています。
水戸市酒門町にある善重寺は、開祖が善念房という人で、親鸞聖人が鹿島神宮からおかえりの途中で出会って聖人を背に負い渡川してさしあげたことが縁で門弟となり善重寺を建立したそうです。
こちらが善重寺の正面です。
住職によりますと、親鸞聖人は20年ほど茨城県におられたそうです。右の像は親鸞聖人像です。
その話は聞いたことがありましたが、確かにウィキペディアによると城県の笠間郡稲田を中心に東国布教活動を行ったとあります。
水戸光圀が現在の水戸の酒門町に移したそうで、水戸黄門様ともご縁があったとは知りませんでした。
聖徳太子とのご縁については、住職の講和によると、仏教の教え主はお釈迦様ですが、親鸞聖人は日本人なので、聖徳太子を日本の仏教の教え主だと説いていて、聖徳皇(おう)と記録に残したそうです。
というわけで、善重寺→開祖の善念房が親鸞の門弟→親鸞聖人→聖徳太子を日本の仏教の祖として崇めていた。と繋がるわけです。
聖徳太子の直接的なゆかりのお寺としては、法隆寺と大阪の四天王寺が有名ですが、ここ善重寺も間接的ではありますが、重要文化財の太子像も安置されていてゆかりが深いです。
毎年1回、聖徳太子の命日である2月22日にご開帳があるそうで、これも初めて知りました。
2020年の2月22日には全国から南は沖縄からの方も含めて1500人以上がご開帳に訪れたそうです。こちらが地元新聞記事です。
来年のご開帳の日には是非足を運んでみたいと思いました。
■太子堂と太子像について
太子堂はお寺の門をくぐって10mほど進んですぐ左手側にあります。
太子蔵は鎌倉時代の湛慶(たんけい)の作と言われています。
水戸市のかるたの1枚になっており、水戸市の名産や文化遺産の書かれた学習用かるたで水戸郷土かるたとうのがあります。
何でも善重寺の聖徳太子の仏像がマツコに似ていることから愛称は「マツコかるた」と呼ばれているとか。たしかにそう言われてみると似ています。
善重寺の人は「マツコさんではなく聖徳太子として覚えてほしい」と話したそうです。
2020年の2月に善重寺の太子像についてのTV放映もあったそうで、これから名所としての人気も高まりそうです。
■水戸市酒門町善重寺へのアクセス
善重寺(ゼンジュウジ)
〒310-0841 茨城県水戸市酒門町2096-2
水戸駅からバスで15分
(水戸駅北口3番のりばから明光中、柏渕、けやき台団地行きに乗車し、
酒門坂上下車(片道250円))
文化財:国重要文化財、聖徳太子像
■まとめ
水戸市にある親鸞聖人と聖徳太子ゆかりのお寺善重寺についてその歴史的な背景を住職からの講和を元にまとめました。
2022年の2月22日には聖徳太子の1400年目の命日を迎えるそうです。
興味のある方は是非足をお運びください。
参考になれば嬉しいです。