こんにちは。生涯挑戦!をモットーに新大人世代を応援する、こうちゃんです。
17世紀後半から18世紀前半のイギリスの著述家、政治家であった、
ベンジャミン・ディズレーリの名言です。 この名前も初耳でした。
名言の中に3人の人物が登場します。フランシス・ベーコン、ジョン・ミルトン、
もう1人は調べても特定できなかった、ウォーバートンという名がありました。
その名言の背景となる音楽を、勝手な推測でピックアップしました。
今回は、ミルトンが聴いていたかもしれない、17世紀のオルガン音楽です。
バッハのような派手さはありませんが、すごく素朴でピュアな音楽です。
まずは名言から。
名言その10と思ったこと
ベーコン卿は彼の書斎のとなりの部屋で音楽をよく演奏させた。
ミルトンはオルガンに賢者のインスピレーションを聞いた。音楽はウォーバートンには必要だった。
詩人の中で目覚めたシンフォニーは、彼の理論的ミステリーのビジョンの中で、偉大な批評家の心を形作ったかもしれない。
ベンジャミン・ディズレーリ
ベンジャミン・ディズレーリ(1804年ー1881年)はイギリスの政治家、小説家、貴族です。
この名言の中に登場する、フランシス・ベーコン(1561年 – 1626年)も、イギリスの詩人のジョン・ミルトン(1608年ー1674年)も16から17世紀の人で、ベンジャミン・ディズレーリより200年以上も前の人物のようです。
ウォーバートンが誰かは謎ですが、おそらく17世紀の人と思われます。
ここに出てくる音楽は、ルネッサンス後期からバロック初期、それからシンフォニーは古典のハイドン、モーツァルト、ベートーベン、ブラームスぐらいまで幅広いのが特徴的です。
この詩については、ベンジャミン・ディズレーリが17世紀の偉人たちの音楽への造詣の深さに敬意を表しつつ、自らも音楽に対する溢れる愛情から言葉にしたものと想像します。
この中で、ジョン・ミルトンが賢者のインスピレーションを感じたというオルガンに興味を惹かれました。
イギリスの17世紀のオルガン作品として、ミルトンが聴いていた可能性のある音楽はどんなのだろうと、探してみると、こんな音楽がありました。
ルネサンス音楽期のイギリスの作曲家ウィリアム・バード(William Byrd, 1543年? – 1623年)の作品でオルガンで演奏されている、”Clarifica me, Pater”( 解き明かしたまえ、主よ)という曲です。
とても、穏やかな曲で心が癒されます。
名言から、当時の曲を聴いてみるのも興味深いです。
ベンジャミン・ディズレーリについて
ウィキからの引用です:
初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield, KG, PC, FRS、1804年12月21日 – 1881年4月19日)は、イギリスの政治家、小説家、貴族。ユダヤ人でありながら保守党内で上り詰めることに成功し、ダービー伯爵退任後に代わって保守党首となり、2期にわたって首相(在任:1868年、1874年 – 1880年)を務めた。
英国の首相も務めた人だったんですね。
名言に登場する、ベーコンとミルトンについても簡単に引用しておきます。
フランシス・ベーコンについて
ウィキとコトバンクからの引用です:
フランシス・ベーコン(Francis Bacon, Baron Verulam and Viscount St. Albans、1561年1月22日 – 1626年4月9日)は、イギリスの哲学者、神学者、法学者、貴族(子爵)である。イングランド近世(ルネサンス期)の人物。
ウィキペディア
「知は力なり」「自然はそれに従うことによってのみ征服できる」などの彼のことばから知られるように、彼の目的は人間による自然の支配の方法の確立である。それは多数の事例を集めて表や目録をつくり、事象の本質を把握する方法である。
コトバンク
ベーコンはシェイクスピアと同時代の人だそうで、「知は力なり」という言葉は聞いたことがあります。彼の言葉だったのですね。
ジョン・ミルトンについて
こちらもウィキからの引用です:
(John Milton, 1608年 – 1674年)は、イングランド(イギリス)の詩人。共和派の運動家であり、オリバー・クロムウェルを支持した。
代表作『失楽園』はダンテ『神曲』やアリオスト『狂えるオルランド』と並ぶルネサンス期の長編叙事詩の名作である。1625年、ケンブリッジ大学クライストカレッジに入学。同年チャールズ1世が即位。学生仲間の間での評判はあまりよくなかった。1629年、学士号取得。1632年修士号取得。
失楽園というと渡辺淳一の小説を連想してしまいますが、ミルトンの代表作があったのですね。